「あの戦争」のうらがわを知るワークショップ

―朝鮮人学徒兵について―

今年度最後の企画では、わたしたちとも年の近い朝鮮人学生たちの戦争経験を学びました。姜徳相『朝鮮人学徒出陳——もう一つのわだつみのこえ』(岩波書店、1997年)をもとに、日本の戦争に被支配者として巻き込まれ犠牲となった朝鮮人の足跡をたどりました。

総力戦に向け日本植民地支配下にあった朝鮮人青年たちは、1943年ごろから「志願」とは名ばかり、実際は強制されて日本軍への入隊へと追い込まれていきました。青年たちの大半は志願を拒否したり回避するために手を尽くしますが、志願者が適格者全体のわずか15%程度にすぎないことを知った日本政府は、志願しない者への休学措置、そして警察を動員した家族への脅迫や該当者の逮捕などの司法処置まで行います。逮捕された者は思想調査をうけされらて「危険」とみなされた者は朝鮮へ送還、「反省」しているとみなされた者は過酷な労働現場へ送られました。また入隊した朝鮮人らは「学徒兵」そして「朝鮮人」という二重の差別に晒されたあげく、日本の戦争の犠牲となりました。

日本人学徒兵の手記を元にした書籍に『きけ わだつみの声』(​​日本戦没学生記念会 編 岩波文庫、1995年)がありますが、朝鮮人学徒兵たちの『きけ わだつみの声』は存在してきませんでした。厳しい監視と拘束のなか、手記や遺言を残すことすらままならなかったその状況は、日本兵との支配ー被支配の非対称的な関係性を象徴しています。

参加者の間から上がった感想をいくつか取り上げます。

・日本の戦争を主導した日本人たち、そしてそれに協力した朝鮮人たちが戦後も日本と韓国においてそれぞれ指導者として力を握っていたことに矛盾を感じた。

・日本の終戦の場面としてよく描写される「家族や隊員同士でラジオの周りに集まって玉音放送を聴く」というものとはかけ離れた朝鮮人の経験を想像できていなかった。朝鮮人の中には日本の敗戦の事実を自分で気づくまで知らされず、朝鮮に帰れるということを知らされずにいた人もいた。当然日本軍が責任を持って伝えるべきではなかったのかと思うと憤りを感じる。

・学徒兵などの形で日本軍兵士となった後、中国戦線などで脱営し独立闘争に参加した朝鮮人が存在したことは重要だと思った。

・朝鮮人に対する「簡単に志願させられるだろう」という当初の日本政府の認識も、「本心では日本の勝利を祈っていないだろう」という疑いの目も、「義務として志願しない朝鮮人は非愛国者だ」という認識も、全て朝鮮人を下にみる・犯罪者扱いする認識のあらわれであり、現代にも通じていると思う。

・皇民化政策によって「日本人」となることを強制された経験、朝鮮分断の過程でアメリカの支配を受けた経験など、時代に翻弄されながら支配によって言語を体得してしまったという事実に現れる暴力性と、生き伸びるためにそれらの言語を使わなければならなかったという葛藤には想像を絶するものがあると思った。

・在日朝鮮人2世の多くに、自身の置かれた状況に強い怒りを覚えつつもそれだけでは生きていけないからこそ、鈍感にならざるを得なかったという経験を持つ人が多く存在すると思う。自分を奮い立たせて強くあることを自分に言い聞かせているような印象を持つ人が多かった。