朴基碩さんと考える”あの戦争”

2025年12月14日、今年度のテーマ「”あの戦争”のうらがわ」に関して第二回目のイベントを開催しました。

今回は東京大空襲・戦災資料センター様にご協力いただき、7歳の時に東京大空襲を経験された朴基碩さんのお話しを伺いました。

日本式の通称名を含め、4つもの名前を渡り歩いてきたという朴基碩さんは、解放後まもなく在日朝鮮人たちの手で建設された国語講習所の卒業生。その後大学まで朝鮮学校で学びます。朝鮮民主主義人民共和国へは25回渡航。「日本政府が朝鮮学校を弾圧する中、民族教育を支えてくれたのは北だった。本国で生まれ育たなかった自分が何者なのか。帰国した同級生に会いに、そして本国を知りたくて何度も北を訪ねました。」

引退後には日本学校出身の在日朝鮮人や日本人を対象に朝鮮語教室も運営し、生徒を連れて韓国でのツアーも開催。「ただ言葉ができるようになるだけではなく、日本と朝鮮の歴史を正しく知ってほしい」という思いで精力的に活動されてきました。朝鮮学校在学中の思い出を小説にした『ぼくらの旗』をはじめとする著書は韓国でも翻訳出版されました。

植民地支配の結果として日本への渡航を余儀なくされ、日本の戦争に巻き込まれ、東京大空襲をはじめとする被害を受けた在日朝鮮人。関東大震災時には朝鮮人に対する差別によってすでに何千人もの朝鮮人が虐殺された状況にありました。朝鮮人は空襲の際、空襲被害に加え、再びそのようなヘイトクライムにも怯えなければならなかったことを、日本人は記憶しているでしょうか。

日本社会の戦争の記憶の中からその存在がなかったことにされてしまうことに憤りをおぼえ、語りはじめた朴基碩さん。空襲時のおそろしい記憶、朝鮮人として受けてきた差別や国籍をめぐる葛藤に至るまで、忌憚なく語ってくださいました。「今日みなさんとこうして会えてよかった。ぜひ教室にも遊びに来てくださいね」とお声がけいただいた穏やかな笑顔が印象に残っています。想像を超えるご苦労を超えてもなおこうして語り続けてくださることの重みとはなんでしょうか?歴史を伝えていくわたしたち聴いた者の責任を果たしていきたいと思います。

朴基碩さん、雨も降るなかはるばるお越しいただき、ありがとうございました。